合掌造りの歴史

合掌造りイラスト

1995年12月、ユネスコの世界遺産一覧表に文化遺産として登録されました。相倉には20棟の合掌造りが現存するが、 約100年〜200年前のものが多く、古いものは四百年前に建造されたといわれています。

屋根の勾配は急で六十度。断面は正三角形に近く、つまり、雪が滑り落ちやすい形なのです。 この大きな屋根を支えるのは、根元の曲がったチョンナと呼ばれる太い梁。 斜面に育成した自然に曲がったナラを用いています。また、合掌の組み立てには釘は 一切打たず、縄とネソと呼ばれるマンサクの木を使っています。
屋根の葺き替えは15年〜20年ごとに、今は森林組合が 中心になっておこなわれています。

雪深いという厳しい自然に対応する頑固な造り、 さらに生活の場と生業の場をひとつにした合理的な建築です。

人々の生きる知恵が生んだ偉大な発明、それが合掌造りと言えます。

合掌造りの期限は、江戸時代中期。その頃、五箇山では養蚕が行われ、塩硝や和紙製造が加賀藩から推奨されました。 こうした仕事に適したスペースを確保する為に、高層の合掌造りに発展したと考えられます。一階は、塩硝や紙漉きと住居。

合掌造り外観イメージ

二階は、広い作業空間と採光、保温を求められた養蚕に使用されていました。 一階は一部を除いて簀子張りになっています。いろりからのぼる熱気を通過させて、蚕室を暖める必要があったからだといわれています。


世界遺産とは

1972年、国際連合教育科学文化機関(UNESCO)総会で「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)が採択されました。

世界遺産条約とは、顕著な普遍的価値を持つ遺産の保護・保存における国際的援助体制の確立、将来の世代への伝達を目的とした条約です。

  世界遺産の価値基準

  • 人類の創造的才能の傑作を現わすものであるか
  • ある期間を通じ、またはある世界の文化上の地域で、建築、記念碑的芸術、都市計画あるいは景観デザインの発展において、人類の価値の重要な交流の過程を示すものであるか
  • 今も生きているか、あるいはすでに消滅した文化的伝統や文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠となるものであるか
  • 人類の歴史上の有意義なステージを例証する、ある形態の建造物、建築物の秩序ある集合、または景観の著な例であるものであるか
  • ある文化を代表する伝統的集落または土地利用の顕著な例であり、特に,元に戻ることができないような変化の衝撃によって、すでに価値を損ねやすい状況に至っているものであるか
  • 優れて普遍的意義を有する事件、生きている伝統、思想、信仰、芸術的・文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(委員会はこの基準が一覧表への記載を容認する場合は、極めて例外的な場合、または他の文化遺産または自然遺産の基準と関連している場合に限られるべきであるとみなしている)  

などが記されています。

相倉合掌造り集落では、上記の価値基準の4、5を満たしております。

また、上記の価値基準の他に、真正性に関する審査に適合すると委員会が認めるとき、条約が目的とする顕著な普遍的価値を有するものとみなされます。

相倉の歴史

相倉合掌造り集落の写真 縄文、弥生期、五箇山での生活始まる
1585年
加賀藩領となる。硝石(火薬の原料)生産される
1690年
加賀藩の流刑地に
1966年
国指定史跡に内定
1970年
文化財保護法による史跡に指定
このころから道路改良トンネル工事等はじまる
1994年
伝統的建造物郡保存地区に決定
1995年
世界遺産一覧表へ
「白川郷、五箇山の合掌造り集落」登録決定

世界遺産の集落、相倉とは

相倉集落は、村内でも最も養蚕の盛んな集落でしたが、主食の自給化対策と養蚕の衰退が相まった1950年頃に桑畑の水田化が行われました。水田への水は、集落の西方の山から流れ出る谷川の水を引き込み、北西の山際から湧き出た水と合わせて、いくつかの水路に分けて供給されています。

保存地区内に現在する合掌造り家屋は20棟あまりで、これらの合掌造り家屋の多くは江戸時代末期から明治時代(19世紀前期に〜20世紀初期)に建てられたものですが、最も古いものは17世紀に遡ると推察されています。また、新しいものは20世紀前期のものが3棟あり、この時代まで合掌造り家屋がつくられていたことがわかっています。

越中五箇山は、庄川峡谷山間地帯にひらけた村落の総称で住居の形式は、合掌造りをなし、相倉集落は、もっとも多く合掌造り民家を残存し、これらの家々は焔硝製造、紙スキ、養蚕製糸などの遺構がうかがえます。

相倉の一年

この並々ならぬ努力によって相倉合掌造り集落では、現在の景観を昔と変わる事無く維持してきています。後世に伝えてゆく為に合掌造り集落を守り抜いていくという事、それは相倉合掌造り集落の人々の影ながらの努力の結晶ともいえるのではないでしょうか。